昭和45年11月17日 夜の御理解



 堤清さんところの奥さんが十五日の青年大会の日に終わろうとしておる時に奥さんが産気付かれたからと電話がかかって来ました。それから催しがあっとりました。又こう昨日から病院に行っておかげ頂いたのですけれども、あの昼、午後の奉仕の時でした。堤さんがあの風邪の具合いが悪く朝参りも出来て居られなかったんですけれども、奥さんと二人で、奥さんはもう着のみ着のままちゅうごた風で参って来とられました。
 お婆ちゃんとお爺ちゃんですけども。それでお医者さんが腹を切らにゃいかんち言いよりますがどうしましょうかというて、お医者さんの言われるのを清さんも佐賀の方へ仕事へ出て居られました。ちょっと待って下さいと言うて取るものもとりあえず二人でお伺いに見えた訳でございました。それで私は「お医者さんにかからせて頂いたが最後ね、もうお医者さん任せ。
 いわゆる家の幹三郎もそげだったろうがの」と私が言うてね、「だからお医者さんがもう神様じゃから、もう切ると言いなさるなら切って貰うという気になって任せきる気持ちになりなさい」と言うてから話してから、まあその気持ちになった。暫くしてからお爺さんの方が言われるとです。「先生その母親の方は助かりますやろか」と言われますから、「帰ってみなさいおかげ頂いとるよ」と私は申しました。
 とにかくほんとにもう任せるという気になったらおかげ頂くて。だからね、もうお医者さんに任せたっちゃなかろうが、神様に任せたっちゃけ。それから帰られました。すぐ帰られましたらすぐああいうふうに電話がかかって参りましてね、「おかげでひょろっと産まれました」と言うて電話がかかって来ました。それけん又あのうお父さんが帰って来たならまたすぐお礼に出ますけと言うてあの電話を切りました。も只それだけ、ひよろっと産まれたち、えらい簡単な事でございました。
 それから又一時間したら今度は清さんとお母さんとお礼に出て来ました。というのも私は今日はもう十五日からお参りして居りますから心配だったけれども、うちおったってしょうないと思うて、佐賀の方へ仕入れにやらせて頂いて、あのう商売の方も出来たからすぐ帰ろうと思うたけど、こりゃあ家内のことが心配で心配でたまらんと言われるようなことを言うから、最近言われておる幹三郎ちゃんのことを一所懸命願いよりゃあんたげのことはおかげ頂くと誰でんいまそげん言よんなさると、だからそうじゃと思うてから私は方向を変えましてからね、病院の方へやらせて頂きました。
 そしたらもう幹三郎ちゃんは大変あのう元気じゃないばってん私が行ったらこう喜んだような表情をされるし、帰るとき手を振ったら幹三郎ちゃんもこう手を振って、あの幹三郎ちゃんが手を振ってこう別れらっしゃる時にですね、ほんと何か知らんけど有難いものを感じた。丁度先生その時間に産まれた。帰ってから出て来て、ね。だからま、こういういうならおかげ話の中からお取次を頂いて風邪を引いて寝とった爺さんも、なら忙しか婆ばさんもとにかくお願いに出て来たということですね、二人で。
 そしてほんとにあの任せる気になったと言うこと。まあそれでも心配になるから母親の方は助かるじゃろうかち、ね、母親の方はそげなことはあんたが心配することは要らんて。帰って見なさいと私はこう、ね、母親の事は心配要らん。帰ってみなさい。帰ってみたらすぐ電話がかかってきてひょろっと産まれたとこういうのがお礼の電話でしたけどね。そういう中からあのおかげを頂く一つの要諦といった様なものをね、感じ取らせて頂きますね。例えばお爺さん達がお願いに来た。任せる気になって帰った。
 父親の方は心配なる、と言うて家に居っても仕様が無いから商売に出た。それでも心配な、商売が出来たからすぐ帰ろうと思うたけど、とにかく幹三郎ちゃんのことを願えば思えばということであちらへやらせて頂いて、あちらで幹三郎と無言の話をさせて頂いて、こちらも手を振るなら幹三郎も手をこう振った、そんとき何か有難いものを感じた。その時に家ではいわばひょろっと産まれたったと言うことになっておる。
 ほんとに神様がおかげを下さるということはね、そういう様な私は何かがぴたっとこう神様の何ものかと一致すること。それはお医者様どうしてその腹を切らなきゃいけないと仰ったかというと、首に二重もそのへその緒が巻いとった。だから切開手術せないかんとこう言われた。
 したらお礼に出て来てからですね、首じゃございませんでしたげな、どん腹の方ば二つ巻いとったでしたげな、ち言うてから笑いましたがね。ほんとにあのあそこにやはりお願いに来たところがおかげ頂いてですね、そんならして下さいと言うたらほんとやっぱ腹を切っとなんじゃけんですね。何とはなしにそこに色々おかげを頂くなというものをそこの中から感じましたですね。
  どうぞ。